この記事は1回目/全2回
「米国人が魚を生で食べるはずがない」
新之助での寿司と後日談には、さまざまなバリエーションがある。金井とウルフの両家に伝わるこのエピソードは、それぞれ微妙に異なる要素を強調し、異なる教訓を語っている。
しかし、いずれのバージョンでも共通していることが一点ある。寿司が次のブームになるというウルフの提案を、金井が信じなかったことだ。説得が必要だったのだ。
ウルフは、寿司をロサンゼルスで一般的な高級レストランと対比することから売り込みを開始した。敦子によると、ウルフは以下の口上を垂れたという。
「いや、米国人が魚を生で食べるはずがない!」そう金井は言い返したと、娘は言う。
マーティン・ウルフの証言によると、ロサンゼルスの人々が寿司を受け入れると予測できる理由を、ウルフは端的に述べたという。
「信じてくれ、彼らは食べるようになる。私が食べるんだから、連中も食べるようになる」
さらに敦子によると、ウルフは金井にハーベストクッキーの教訓を思い出させた。「米国に寿司を持ち込むことができたら、真似をできる人間はいない」とウルフは畳みかけたのだ。かくしてウルフは金井の説得に成功する。
カリフォルニアでは別の発展もあった。セントラルバレーのコーダファームズで中粒種が開発された。1962年に発売されたこの米は、日本から移住してきたオーナーの国府田敬三郎が、「日本で手に入る米よりも品質の高い米をお客様に提供したい」という思いから生まれたものだ。この米は、冷めてももろくならないので、寿司に最適だった。
しかし、二人のビジネスマンの計画を成功させるためには、寿司に挑戦するレストランが必要だった。ロサンゼルスの日本食レストランは、ほとんどが欧米人好みの味付けで、リスクを冒す理由を見いだすところはほとんどなかった。リトル東京には、地元の日本食に大きな影響を与えた川福という料亭があった。1923年の開店以来、映画スターやスポーツ選手、政治家たちを虜にしてきた。
チャーリー・チャップリンが舌鼓を打ち、ボクシングチャンピオンの海老原宏之も訪れた。かつて日本帝国連合艦隊の総司令官だった人物もそうだ。
もし、オーナーを説得して寿司屋を併設できれば、共同貿易が必要とする足がかりになるかもしれない。
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