戦場のプロ 傭兵・高部正樹(4)
傭兵は体が資本。体力を維持するには栄養ある食事をしっかり取ることが欠かせません。今回は「食」に関するいろいろなエピソードを紹介します。最前線での食料の現地調達、ジャングルでのゲテモノとの格闘、日本人には不慣れな味付けや奇異な習慣など。戦場での食生活は、これも1つの戦いなのです。
戦場では、食材の現地調達は基本です。1990年代に従軍したミャンマーでは、小口径のライフル1丁を小動物の狩猟用に部隊で携行していました。罠も使ってリスやオオトカゲ、ネコ、ネズミ、サル、鳥などを狩っていきます。
行軍中も食べられる植物を取ってはポケットに突っ込みます。知識さえあればジャングルは可食植物の宝庫。野生種のゴーヤ、雨季は根曲がり竹に似た小さなタケノコも取れました。焼き畑の跡には、収穫されず残った作物から野菜が自生していることもあります。
ナス、ゴマ、トウモロコシの他、うれしかったのはキュウリ。水分とビタミンをたっぷり含むキュウリは、蒸し暑いジャングルを行軍するわれわれにはまるでオアシスでした。ゴーヤやナスは日本の物よりもかなり小さいのですが、味はそんなに変わりません。スープや炒め物にすると普通においしく食べられます。トウモロコシはどれも小さく固くて、実もあまり詰まっていません。しかし、味は間違いなくトウモロコシでした。
「おいしいもの」と言えば、まず思い出すのはリスです。肉はしっとり、気になる臭いもありません。塩こしょうで焼くだけでおいしく食べられる獣肉は、リスだけだったかもしれません。80年代末のアフガニスタンなら、ヤギです。遊牧からはぐれたヤギに遭遇すると小銃で撃ちます。特有の臭みはありますが、最前線で手に入る新鮮な肉はうれしいものです。鳥類も味は間違いありません。丸焼きが基本で、インコのようにカラフルな鳥や肉食で臭そうなイメージがあるフクロウなども思ったより美味です。
意外にいけるのは「竹虫」でしょうか。文字通り竹の中にいる細いイモムシで、油で揚げて塩を振ると、味は日本の「えびせん」そっくり。よいおやつ代わりでしたが、歯の間に虫が詰まりやすいのが難点です。
ミャンマーのカレン軍は飲酒禁止でしたが、カレン族の村で米の酒をよく造っていました。村人から購入しては「ジャングルジュース」と隠語で呼びながら飲んだものです。ただし造りたては甘くて美味なのですが、時間が経つと発酵がどんどん進んで度数の高い辛口になるため、その見極めが大切です。
なお、これらと全く異なり近代的なのが欧州の一角にあるクロアチア。キャンプではハムとチーズにコーヒーやバゲットなど、まるでビジネスホテルのような朝食を楽しめました。
■ネズミはまずい、ゲテモノの試練
戦場では、時にゲテモノやまずいものも口に運ばねばなりません。
「まずいもの」で真っ先に思い出すのがネズミ。ミャンマーでカレン人が調理する際、まずは体毛を焼くため真っ黒になるまで火にかけます。すると内臓が温まるのか、腹を割くと実にひどい悪臭を放ちます。それを骨ごとぶつ切りにし、香辛料のスープか炒め物にするのが定番。しかし、肉をかむと例の悪臭を思わせる嫌な味が広がり、吐き気をこらえて胃に流し込んだものです。
ミミズを食べた事もあります。スープに入っていたのですが、ぬめっとした不快な舌触りに、かむと土の味でした。その時は、キャンプが敵に長期にわたり包囲されて食糧が枯渇。危地をしのぐためだったようで、食べたのは後にも先にもこの時だけでしたが二度と口にしたくない食材(?)です。
ミャンマーではネズミ・ヤマネコ・サルといった獣肉、ヘビ・オオトカゲなどのは虫類、昆虫やイモムシの類はよく出る食材でした。獣肉は固いので、細かく刻んで野草や香草、スパイスと炒めるかスープに。あるいは丸焼きにしてから細かく刻んで分けます。は虫類も火を通すと肉がかなり固くなるので、ミンチにしてから炒めます。
それでも獣肉・は虫類は、どう調理しても独特な臭み・味が残ります。食べる際はよく咀嚼(そしゃく)せざるを得ず、口に長く残るのが苦手という外国人は多かったです。また、バンカーの中でネズミの赤ちゃんを度々見つけましたが、それが夕食のスープに丸ごと入っていた時はさすがにげんなりしました。
昆虫で印象が強いのはカナブン。夜、明かりに寄ってきたカナブンをカレン兵が手で叩き落すと、ろうそくの火で軽くあぶってスナック菓子のように口に放り込みます。私もやってみましたが、かみ潰すと少し苦みのあるどろっとしたものが広がり苦手でした。
■強烈な発酵食品、小魚の「腐れ汁」
ゲテモノ以外できつかったものは、アフガニスタンでは「クルート」です。一見、小石にしか見えない白い塊です。ヤギの乳に塩などを混ぜ、丸めて固く乾燥させたものと聞いています。食べる際はぬるま湯で戻し、ネチョネチョに炊いた米にかけます。風味は「塩をたっぷり入れたやや酸っぱい牛乳」とでもいうのでしょうか。牛乳嫌いの私にはなかなか辛い食材でした。
カレン族の伝統的な調味料「ニャオティ」も。塩漬けの小魚から出てきた汁で、魚醤(ぎょしょう)の一種です。非常にきつい発酵臭で、われわれ外国人は陰で「腐れ汁」と呼んでいました。しかし、味付けに幅広く使われるのでカレン領にいる間は避けて通れません。アジアは発酵食品の発達した地域ですが、日本人でさえ苦戦する東南アジアの強烈な発酵食品の数々は、慣れていない欧米の人間にとっては相当な難敵だったようです。
ただ人間とは不思議なもので、まずいと思っていたものをおいしく感じることもあります。ミャンマーの携行食は、バナナの葉に包んだ白米に「ニャウ」が必ず添えられていました。ニャウはニャオティを取った後に残る魚肉部分で臭いも味も変わりませんが、ジャングルでの行動が長くなるにつれ、おいしく感じるようになるのです。最初は腐れ汁と呼んであれほど敬遠していたものが。空腹に加えて塩分を欲していたのでしょう。人間の体なんて本当に正直なものです。
まずい飯の対策は、いろいろ試しました。中でも、チューブ入りのみそとカレー粉は抜群です。みそ、カレーは、どんな味や臭いでもしっかり抑えてくれ、炒めて使えば香ばしさも加わって一層食べやすくなります。ただし、香りが強いため敵のいない地域限定ですが。 このほか日本人ならふりかけや塩昆布を、欧米出身者なら乾燥ハーブやウスターソース、なども携行したものです。
■菜食用にハラル用も、米国MREの心配り
調理器具や食器、食べ方にも地域ごとの風土や文化に根ざした特徴があります。
ミャンマーでは部隊で大鍋を1つ必ず携行しましたが、実は一番便利だったのは竹。ジャングルでは太くて頑丈な竹が無数に生えており、いろいろな用途に使えます。枯れたものは着火剤、生の竹なら輪切りにして湯のみ、縦に割れば器になりました。あるいは筒に食材を詰めて火にくべれば煮炊きもできます。
アフガニスタンで最前線に行く部隊は、薄い鉄板1枚を携行しました。主食のチャパティ(小麦粉を薄く焼いたもの)を作るためです。大鍋で煮たヤギの肉を金属でできた洗面器のような器によそい、各自が取って薄いチャパティと食べる。アフガニスタンでよく見た最前線の食事風景です。
一方、先進国の軍隊は効率や栄養を考慮した「MRE(Meals Ready to Eat)」という戦闘用糧食を支給されます。例えば、米国ではレトルトパウチの主食の他、クラッカー、パン、チョコレートやケーキなどのスイーツ、コーヒーやガムのような嗜好(しこう)品まで、1日分が1袋に入っています。
メニューは十数種類、その上に寒冷地用、ベジタリアン用、イスラム教徒向けのハラル対応用まであります。温かく食べられるよう、少量の水で発熱するヒーターまで付いています。発展途上国でも米国が関与する所は米国製MREが出回り、私も恩恵にあずかりました。細かい心配りは、さすが人権大国の米国でした。
食べる側のこだわりの違いも多種多様でした。私が出会ったフランス人は強いこだわりがありました。ミャンマーで、当番兵が極細のフライドポテトを「フレンチフライ」と言って持ってきた事があるのですが、それを見た瞬間「そんな粗末なものをフレンチと呼ぶな!」と大声で叫んだのです。「こんな所でそこまでこだわるか?」と思いましたが。
仲間のドイツ人も変わっていました。クロアチアでトマトが支給され、それを3隊で分けたら余りが1個出ました。小隊長が余りをどこかの隊の山に適当に置いた途端、ドイツ人の分隊長が「その1個も公平に3分割すべきだ」と主張したのです。1隊は約10人。1人当たり数個がすでにある中、3分の1個のトマトにこだわる意味が分かりませんでしたが、ドイツ人はそれだけ厳格なのでしょう。
■肉煮込みの分配、ゲームで決める
食事スタイルにも独特な風習があります。中でもアフガニスタンは面白いものでした。夕食時、洗面器のような器にヤギ肉と野菜の煮込みを盛って4~5人で囲むのですが、最初に中の肉を全部取り出してしまいます。そして、残ったスープの中にナンを小さく千切って放り込み、そのスープをたっぷり含んだナンをまた別の新しいナンでつまんで食べます。
面白いのはその後です。ナンを食べ終わると、取り出しておいた肉を指で千切って人数分に分け、誰かひとり指名します。指名された人は肉に背を向け、残りの人たちが「これは誰のだ?」とランダムに肉片を指さし、背中を向けた人がそのたびに仲間の名前を言っていきます。こうして「肉が多い、少ない」の恨みっこなしに分けるのです。ゲーム感覚のようで、いつも笑いの絶えない楽しい時間でした。
ミャンマーでも1つの器を皆でつつくのは同じですが、最初に将校が食べ、残りを下士官以下が食べるスタイルでした。外国人は将校扱いでいつも最初に食べられましたが、それなりの苦労もあります。
建前上は満足するまで食べていいのですが、下士官以下に十分な量を残す必要もありました。兵隊が見つめる中では食べづらく、後で心置きなく食べる方がましだと思ったものです。もしクロアチアだったら、将校でも腹いっぱい食べたことでしょう。こういう気遣いが、いかにもアジアらしくもありました。
われわれにとって戦場での食は仕事です。だからこそ、どんなゲテモノやまずいものでも口にしました。しかし、だからといって苦痛ばかりな訳ではありません。わずかな食糧を運命共同体の仲間と分け合い、少ないと言っては笑い、まずいと言っては笑い合う。
ミャンマーでは、ごくまれにご褒美のように「サクー」というスイーツの支給がありました。古代米を混ぜたもち米に、黒砂糖を水に溶かしたシロップとココナツミルクをかけただけのものですが、甘い物は最前線では最高のごちそうです。
それを口に含んで真っ黒な顔の仲間と笑顔を交わす時、束の間の心の安らぎと、この上ない連帯を感じました。今思えば、戦場の食の楽しみとは食べる事ではなく、こうして仲間と交わす笑顔だったのかもしれません。
<筆者紹介>
高部正樹(たかべ・まさき)
1964年、愛知県生まれ。高校卒業後、航空自衛隊航空学生教育隊に入隊。航空機の操縦者として訓練を受けるも訓練中のけがで除隊。傭兵になることを決意し、アフガニスタン、ミャンマー、ボスニアなどで従軍する。2007年、引退し帰国。現在、軍事評論家として執筆、講演、コメンテーターなどの活動を行う。著書に『傭兵の誇り』(小学館)、『戦友 名もなき勇者たち』(並木書房)など。自身をモデルにしたコミックエッセー『日本人傭兵の危険でおかしい戦場暮らし』が雑誌『本当にあった愉快な話』(竹書房)で連載中。
※特集「プロの眼」は、アジア経済を観るNNAのフリー媒体「NNAカンパサール」2022年7月号<https://www.nna.jp/nnakanpasar/>から転載しています。
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