Monday, December 9, 2019

新潟や信州と交流 海山の幸食べる 七尾「田岸遺跡」縄文人の暮らしは? - 中日新聞

竪穴建物跡など発掘調査の成果が紹介された現地説明会=七尾市中島町の田岸遺跡で

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現地説明会 竪穴建物跡や2重石囲い炉も

 七尾市中島町の縄文遺跡「田岸遺跡」で、新たに縄文時代中期(約四千五百年前)の竪穴建物六棟の跡などが見つかった。八日にあった本年度まで二年間の発掘調査の成果を伝える現地説明会で、県埋蔵文化財センター担当者が説明した。人が掘った土坑、多数の縄文土器ややじりに使われたとみられる石、火をたいた石囲い炉跡なども確認。当時の集落や生活ぶりの解明につながる成果として注目されそうだ。(室木泰彦)

 田岸遺跡は七尾湾沿いの海岸段丘に位置。一九六九年と九四年の調査で縄文土器や石器などが見つかり、中部−関東に分布する新道(あらみち)式土器が出土。国道改築に伴い昨年度から約二千三百四十平方メートルを対象に二年計画で調査が進んだ。

 約百十人が参加し、同センター調査担当の島田亮仁さんが説明した。

(上)竪穴建物跡から見つかった縄文土器の一部(下)竪穴建物跡できれいに残っていた貴重な2重の石囲い炉跡=いずれも七尾市中島町の田岸遺跡で

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 直径約六メートルの楕円(だえん)の竪穴建物跡は六棟確認できたが、構造上すべてが同時代に存在したと考えにくく、調査範囲には二、三棟あったのではと説明。建物跡が弧状に配置され、集落構造の手掛かりになるという。調理や暖房のためと考えられる火をたき土が赤くなった部分が残る石囲い炉も複数見つかり、うち一つは長さ一・一メートル、幅五十センチほどで、石囲いが二重に造り込まれている。島田さんは「二重は県内で他に例がなく貴重な発見」とした。

 新潟県・糸魚川周辺で作られた石器の一部、信州から来たと思われる黒曜石、志賀町や珠洲市産の泥岩でできた石器なども出土し、当時も広範囲で地域間交流があったことが判明。台風など強い風で倒れた可能性がある大木が埋まっていた跡も見つかった。

 参加者から集落の状況を聞かれた島田さんは「一棟あたり五、六人が暮らし、海山の幸を食べ暮らしていたのでは。今回動物の骨は出ていないため食べて捨てた獲物は腐ったのでは」と話した。集落の人口など全容の解明にはさらに調査が必要とした。同センターの伊藤雅文調査部長は「調査は年内で終わるが、対象範囲の建物跡はほぼ発掘できたのでは」と話した。

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