Tuesday, February 15, 2022

歩いて、祈って、食べる! ポルトガルの旅はリスボンから - 朝日新聞デジタル

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碁石のような白と黒のきれいな石が、びっしりと地面に並んでいる。それでいて、道の隆起は自然に任せるままのようにでこぼことしていて、石畳でむりやり押さえつけようっていう気はないようだ。

タイルがはがれてすすけた壁に挟まれた細い坂道を、トラムがゴトゴト車体を揺らしすり抜けてきた。パンパンに乗った観光客たちは、テーマパークのパレードに乗ったキャラクターのように手を振ってくれる。

生活感が漂うリスボンの街並み
生活感が漂うリスボンの街並み

どこからか油と魚の匂いが漂ってきた。これはアジを揚げているような感じだろうか。きっとあそこの食堂から香っているに違いない。店の軒先でハンチング帽をかぶったおじさんが、ぷかぷかとたばこをふかしている。

「うらぶれる」って決していい言葉ではないけれど、そのイメージさえ覆しかねない。リスボンはそんな街だと思った。

ポルトガル旅行の玄関口、リスボン

日本からポルトガルへの直行便飛行機は、いまのところない。ヨーロッパの主要都市まで来て、乗り換えるのが一般的だ。運賃の安さに釣られると、大きく迂回(うかい)して40時間以上かかる航路もある。

2019年10月にアシアナ航空がソウル-リスボン便を就航した。日本発もアシアナにしてしまえば、ソウル乗り換えも荷物を預けっぱなしにできるので楽だった。ソウルでの乗り換え時間にもよるが、およそ20時間で行くことができる。しかも運賃もべらぼうに安い。現在この路線はなくなってしまっているが、コロナ禍が明ければ復活すると信じている。

早くて安ければ、極東の日本からみてユーラシア大陸の最西端に位置する遠い国ポルトガルが、少し近くなったといえる。まずは身近になったリスボンから旅したいじゃないか。

歩いて、祈って、食べる! ポルトガルの旅はリスボンから
リスボン市街地

大地震、12.5メートルの津波にのみ込まれ、全壊した街

「七つの丘の街」と呼ばれるほど、坂が多い。高低差を利用してビルを建て、街の人たちはそのビルのエレベーターを道として使う。坂道を下りきると、行き着くのは大きな川だ。リスボンは入り江のように膨らんでいるテージョ川のほとりに立つ、古くから栄える港町だ。

観光客が押さえておきたいエリアは主に四つ。コメルシオ広場から伸びるバイシャ地区、その東にあるアルファマ地区と、西のバイロ・アルト地区、それと少し離れているが世界遺産のジェロニモス修道院があるベレン地区だ。

バイシャ地区の川辺にあるコルメシオ広場は大地震で倒壊したマヌエル1世の宮殿跡地
バイシャ地区の川辺にあるコメルシオ広場は大地震で倒壊したマヌエル1世の宮殿跡地

この街は一度全壊している。1755年にあった「リスボン大地震」だ。マグニチュード8.5または9ともいわれ、スペインはもちろんモロッコまでも揺れたという。その直後、震源地に近い港町リスボンを襲ったのは12.5メートルといわれる大津波だ。被害は甚大だったが、ポンバル侯爵の手腕によって順調に復興。都市計画を基に整備された。

市街地の地図をじっと見ていると、あることに気がつくかもしれない。バイシャ地区もバイロ・アルト地区も、ヨーロッパらしいブロックごとのまっすぐな道が続くにもかかわらず、高台の下町と呼ばれるアルファマ地区の道は渦を描くように入り組んでいる。

アルファマ地区の路地裏は複雑怪奇。ここを車が通るのかと驚く
アルファマ地区の路地裏は複雑怪奇。ここを車が通るのかと驚く

高台であったがため大津波を免れ、ムーア人に支配されていた時代の要塞(ようさい)都市をそのまま残しているからだ。アルファマ地区の「アル」とはアラビア語に由来する。車も電車も想像しなかった時代につくられた、攻め落としにくい曲がりくねった道はまるで迷宮のようだ。旅人の冒険心をくすぐることだろう。

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