
仙台市出身で東日本大震災を経験した羽生結弦(26)=ANA=は、被災者の心に寄り添い、自らのスケートを通してメッセージを届けてきた。「羽生結弦」というスケーターを見つめてきた3人の記者が、震災からの10年を振り返る。
◇
突然の「告白」にハッとさせられた。2012年3月31日、フランス・ニース。初出場で銅メダルを手にした世界選手権は、羽生の「出世試合」として知られる。レオナルド・ディカプリオが主演した映画の音楽に乗って「ロミオとジュリエット」を好演。演技を終えた羽生は、報道陣への取材に応じるミックスゾーンで、こう語ったのだ。
「『被災地を元気付けたい』と思って世界選手権を目指したが、その考えは間違いだった。僕が皆さんに元気付けられた。ありがとうございます」
当時は宮城・東北高に在学する17歳。
「被災地代表選手のように見られるのが嫌だった」
そう話していた彼が自らを受け入れ、歩み出していく決意表明にも聞こえた。
「被災地代表選手」として…
羽生を取材したのは、シニアに転向した10~11年シーズンからソチ冬季五輪まで。15歳で出場した10年世界ジュニア選手権(オランダ・ハーグ)を制し、女子で優勝した村上佳菜子さんとともに次代のホープと目された。
だが、シニア1年目からグランプリ(GP)ファイナルで3位と活躍した村上さんに比べ、羽生のシニアデビューは華やかなものとは言えなかった。このシーズンのフリーに選んだのはサラサーテ作曲の「ツィゴイネルワイゼン」。当時、フリーの演技時間はジュニアより30秒長く、演技後半のスタミナ不足は明らかだった。
そうした事情もあり、羽生に対するフィギュア担当記者の注目度は、決して高いとは言えなかった。ある日、複数の選手が同じ部屋に招かれ、制限時間内であればどの選手にも自由に話を聞くことができる取材機会があった。…
からの記事と詳細 ( 担当記者が見つめた羽生結弦/2011-14 ニースで突然の「告白」 - 毎日新聞 - 毎日新聞 )
https://ift.tt/3vaKZPI
スポーツ
0 Comments:
Post a Comment