Monday, August 23, 2021

食べる度に悶絶した香港の清蒸魚の美しい思い出 - 読売新聞

makanresto.blogspot.com

海外旅行はもとより、外食にもそうそう行くことができなくなり、食べたいものを自分で作ることにトライしている人も、多いことでしょう。

私がこの度「作ってみよう!」と思い立ったのは、香港で食べる度に、あまりのおいしさにうっとりとしていた、「清蒸魚チンジャンユー」です。

直訳すれば「蒸し魚」となるこの料理、名前だけでは何の色気も感じられないもの。しかし香港の海鮮料理店に行くと、清蒸魚のところには価格が書いてないことがしばしばでした。魚の種類や大きさによって価格が違うという、いわゆる「時価」のメニューだったのです。

もっとも美味とされているのは、高級魚の石ハタ。海鮮料理店においては何匹かが目の前に持って来られ、大きさによって値段が違う、的なことを説明されます。

小さなものでは明らかに少ししか食べられない、しかし大きなものは高かろう‥‥。などと悩みつつも、この時ばかりは大きいものを選んでしまうのが、常でした。日本では、「時価」とされているものには一切手を出さないタイプの私ですが、

「せっかくここまで来たのだし」

「滅多に食べられないのだし」

といった思いが交錯し、つい大きい魚を指差してしまっていたのです。

多少の無理をしつつ無上の楽しみを求める

この料理は、白身の魚をできれば丸ごと一匹蒸して、白髪ネギや生姜の千切りをたっぷりとのせたところに中国醤油をベースにしたタレをかける、というもの。仕上げに、熱した油をジュワッとかけるところが、ポイントです。そしてこの時の油がピーナツオイルだったりすると、透明感とコクとが同時に加わり、白身魚の味を最大限に引き出す立役者となるのでした。

香港で初めてこの料理を食べた時、あまりのおいしさに、私はちゅ〜るにありついた猫のようになりました。が、八割がた食べ終わった時に、お店の人が身ぶり手ぶりで、しきりに「ご飯を食べろ」とアピールしてきたのです。言葉は通じないのに、お店の人が魂で「ご飯を食べろ」、と叫んでいたのがわかってしまった、と申しましょうか。

まだ来ていない料理もあるというのに、なぜ今、白いご飯を‥‥? と思いつつも、白いご飯を持ってきてもらうと、店員さんは次に、皿に残った魚、ネギや生姜、パクチーなどを、タレと一緒にご飯にかけてみろ、とのゼスチャー。

おお、それは素敵。‥‥とアドバイスに従ってみると、これがまた悶絶もんぜつするほどの味。醤油っぽい味の魚でご飯を食べるというのは、日本人にとっては全く珍しくない行為ですが、ネギと生姜、パクチーの風味も加わり、さらにそれを油が取りまとめるという一体感はそれまで経験したことがなかったものでした。例の、先が太い箸ではとてもはやる気持ちに追いつくことができず、レンゲを使用して陶然となって食べていると、件の店員さんは、

「でしょ?」

といった笑みを残して、立ち去っていったのです。

日本で、塩ジャケだのあじの干物だので食べる白いご飯も、確かにおいしい。がしかし、もしも死ぬ前に、

「白いご飯と、何か魚を食べさせてあげましょう」

と神様に言われたなら、石ハタの清蒸を選んでしまうかも‥‥と思った私。以降、香港に行った時は、多少の無理をしつつその料理を注文し、そして最後はご飯にかけて食べることを、無上の楽しみとしていたのです。

現実とのギャップ

しかしここ数年、大好物と言っていい清蒸魚にありついていない私。「まあ、行こうと思えばいつでも行けるし」という感覚でしばらく行かずにいたら、香港の政情が不安定になったりコロナ時代に突入したりと、とんと足が遠のいていたのです。日本でも清蒸魚を供する中華料理店は存在するのであり、食べに行けばいいではないかと思うものの、なぜかそうする気にもなれません。

あとどれくらいすれば、香港で清蒸魚が食べられるのだろうか。‥‥と思っている時に、たまにのぞく中華料理食材店のサイトにおいて、清蒸魚のタレというものが売られているのを発見した私。

「えっ、こんなの売ってるの!」

と、さっそく入手しました。

こうなったら魚を蒸すしかありませんが、石ハタの尾頭付きを家で蒸す勇気が出なかった私は、安売りになっていた鯛(養殖)の切り身を使うことに。香港では気が大きくなるけれど家ではせこいなぁ‥‥と思いつつ、適当に蒸して、ネギも生姜もたっぷり用意してタレをかけ、いざ一口。

すると、

「まあまあ‥‥」

という感想だったのでした。まずくはない。が、「おいしーい!」というものでもない、と。

おそらくは私の中で、清蒸魚に対する期待が、膨らみすぎていたのでしょう。思い出の中の美味をもう一度味わおうとするとたいていがっかりするものですが、清蒸魚についても同様だったのです。

もちろん、ご飯と一緒にも食べてみましたが、悶絶する準備はできていたというのに、そちらも期待値に全く追いつきません。プロの味が、そう簡単に再現できるものではないことを痛感します。

清蒸魚のタレはまだ残っているのですが、また同じトライをして、同じガッカリ感を味わうのが怖い私。美しい思い出はそのままに残しておいた方がいいのか、それとも何度も当たって砕けた方がいいのか。‥‥と、今も悩み続けているのでした。

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酒井順子
酒井 順子(さかい・じゅんこ)
エッセイスト

高校在学中から雑誌にコラムを発表。大学卒業後、広告会社勤務を経て執筆専業となる。「負け犬の遠吠え」で講談社エッセイ賞、婦人公論文芸賞を受賞。2021年に「処女の道程」(新潮社)、「鉄道無常」(KADOKAWA)を出版。

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