Friday, August 27, 2021

結婚直後に右腕切断 パラトライアスロン銀宇田秀生「気持ちこみ上げ」号泣 - ニッカンスポーツ

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銀メダルを決め歓喜する宇田(撮影・河田真司)
銀メダルを決め歓喜する宇田(撮影・河田真司)

<東京パラリンピック:トライアスロン>◇男子(運動機能障害PTS4)◇28日◇お台場海浜公園

初出場の宇田秀生(34=NTT東日本・NTT西日本)が、トライアスロンに新しい歴史を作った。男子PTS4(運動機能障害)に出場した宇田は苦手のスイムで8位と出遅れたものの、バイクで3位に浮上。最後のランでさらに1人を抜き、銀メダルに輝いた。

16年リオデジャネイロ大会から採用された同競技で日本勢初のメダル獲得。五輪競技とともにパラリンピック競技も統括する日本トライアスロン連合(JTU)にとっても、五輪、パラリンピックを通じて初の表彰台で「メダル競技」の仲間入りを果たした。

ゴール直前、宇田は関係者が座るスタンドに向かって、手を振った。「これまでやってきたことを、見てもらう。発表会にしたい」という思いで、満面の笑みをみせた。それでも、ゴール直後には号泣。「いろいろな気持ちが込み上げて」と言って目を腫らした。

13年5月、宇田は就業中の事故で右腕を切断した。わずか5日前に結婚したばかり。新妻亜紀さんのおなかには第1子もいた。周囲の支えで何とか前を向き、半年後にはリハビリで水泳を始めた。これが、トライアスロンへの第1歩だった。

子どもの頃からサッカー一筋、滋賀・水口高では県選抜で1学年下の野洲高・乾貴士ともプレーした。基礎体力と根性はあった。ランもバイクも得意だった。15年に本格的にレースに出場すると、すぐに世界レベルになった。世界選手権シリーズやW杯を転戦して結果を残し、パラリンピックのメダル候補になった。

新型コロナ禍の昨年は、健常者のトップ選手と沖縄で長期合宿を行った。五輪を目指す若手が練習パートナーを務めてくれた。だからこそ「障がい者としてではなく、アスリートとして見てほしい」と話す。「健常者と同じ量と質のトレーニングをしてきた。競技力を評価してほしい」。自信を込めて、力強く言った。

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