「うそ! 泣いてました? 欲張りかよ(笑)」
――東九州龍谷高校時代は、高校3冠(春の高校バレー、インターハイ、国体)を達成したチームのエースとして活躍されました。当時のチームの強さの理由はどこにあったのでしょうか? 長岡:あの時は、それぞれの役割がハッキリ、しっかりしていたし、お互いのことを本当によくわかっていましたね。言わなくてもわかることばかりだったので、だからこそのやりやすさはあったかもしれません。 ――3年生の12月に行われた皇后杯ではVリーグのチームも破りました。 長岡:あの時は高校最後の大会だったんですよね。 ――現在は春高バレーが1月に開催されていますが、当時は3月開催で3年生は出場できなかったので、年末の皇后杯が最後だったんですね。 長岡:はい。だから、このチームでできる最後の大会だ、というのがすごく大きくて。後悔がないように、もうこの瞬間をすごく大事にしたい、と思いながらやっていました。「全部出し切りたい!」って感じで、それが力になったんだと思います。 ――長岡選手がバレーを始めたのは? 長岡:小学2年の時に、お姉ちゃんがやっていたので。もともとは母がやっていて、その影響でお姉ちゃんが始めて、私も、という感じですね。 ――中学時代も強豪校でプレーしていたんですか? 長岡:いえ全然。県大会にも出られなかったです。 ――そうなんですか? でも中学3年のJOCカップに福岡県代表として出場されていましたよね? 当時取材させていただきました。 長岡:えー! よく覚えてますね。 ――準優勝の銀メダルを首にかけて「悔しい」と泣いていたのを覚えています。 長岡:うそ! 覚えてない。泣いてました? 欲張りかよ(笑)。だって最初はそんなに勝つと思ってなくて、あれ?あれ?あれ?みたいな感じで決勝に行ったのに。そういえば私、あの時はサーブレシーブに入っていましたね。 ――県大会に出られない無名校から、福岡代表に選ばれたんですね。 長岡:隣町の中学校はめちゃくちゃ強くて、そこの監督さんがJOCカップの福岡代表のコーチだったので、その人がよく見ていてくれたんじゃないですかね。
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