2024/01/07 05:00 ウェザーニュース
七草粥にまつわるお話を、歳時記×食文化研究所代表の北野智子さんに伺いました。
七草粥の始まりは平安時代?
「正月七日は、五節句の一つで、新年最初の節句・『人日(じんじつ)の節句』です。
昔から中国では、一月一日を『鶏の日』、二日を『狗(いぬ)の日』、三日を『猪(=豚)の日』、四日を『羊の日』、五日を『丑の日』、六日を『午(うま)の日』として、それぞれの日にはその家畜を殺さないようにしていました。
七日は『人の日(人日)』で、犯罪者への刑罰を行わなかったとも、邪気を祓(はら)う日だったともいわれています。
また中国の『荊楚(けいそ)歳時記』に、『正月七日を人日と為す。七種の菜をもって羹(あつもの=汁もの)をつくる』とあり、七種類の菜の吸い物を食して無病を祈る風習があったそうです。
これら中国の風習に、宮中で正月十五日に、米・麦・小麦・粟・黍・大豆・小豆の七種類を入れた七種粥(ななくさがゆ)を食べる供御(くご)の粥の行事と、新年最初の子(ね)の日に行われてきた若菜摘みの習わしが合体して、七草粥の行事になったといわれています。
七草粥の始まりとしては、平安前期に宇多天皇が、初めて七種の若菜を入れた粥を神に供えて、無病息災を祈念したのが始まりとされているようです。
江戸時代には、正月七日に将軍が七草粥を食べる祝儀が定着し、庶民にも浸透していったといいます」(北野さん)
七草粥の効能
「せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな(かぶ)、すずしろ(だいこん)の春の七草を入れて作る七草粥は、お正月のご馳走疲れや食べ過ぎの胃に優しいものと捉えられていますが、これは後世のこじつけで、背景には古い歴史があるとされています。
もともと七草は新しい年を迎えるにあたって、自然の芽吹きをいただき、活力を得ようという信仰に始まったとされています。
また、先人たちが無病息災を祈ったのには、『せりは血を止め精を養い気力が増す』『なずなは五臓を利し目を明らかにし胃を益する』ほか、七草それぞれに効能があるとされてきたからです。さらに、青物が不足する冬に、新鮮な若菜の息吹を体に取り込みたいという願いもあったのでしょう。
ちょうど旧暦の七十二候で、一月六日から十日(2024年度)は、『芹乃栄(せりすなわちさかう)』の時節。冷たい沢の水辺で、芹が群れ生えてくる頃を迎えます。みずみずしい芹の姿や香りに生気が感じられ、その生命力をいただきたいと思ったのでしょう」(北野さん)
春の七草以外の食材を使う地域も?
「例えば福岡県では、『七草汁』とか『七草雑炊』と呼ばれ、せりとなずなを含むありあわせの七種を入れたり、佐賀県では、せり、ねぎ、ほうれん草、高菜、大根、人参、よもぎ、小松菜の中から七種を選んで入れたりしているようです。
七草粥を食べない地域もあるのでしょうか。
「『風俗問状答』(1814年〔文化11〕)によると、七草粥を作らない地方も多く、作るところでも越後長岡のように、『雪深き国なれば七種の菜もそろわず、有あふ品もて祝ひ侍りぬ』という地方もあります。
新潟県において七種の菜が揃わなかったように、寒冷な東北各県および北海道では雪の影響で七草を収穫することができないので、七草粥を食べる習慣がなかったのではないでしょうか。
流通の発達により日本全国へ『春の七草パック』などが届けられている現代では、七草粥を食べる地方が増えていくのではないかと思います」(北野さん)
お住まいの地域のスーパーなどで七草が入手できるのであれば、この歴史ある習慣を堪能してみてはいかがでしょう。
参考資料
『三省堂年中行事事典』(田中宣一・宮田登編/三省堂)、『和食文化ブックレット2 ユネスコ無形文化遺産に登録された和食 年中行事としきたり』(和食文化国民会議監修・中村羊一郎著/思文閣出版)、『祝いの食文化』(松下幸子著/東京美術選書)、『日本の「行事」と「食」のしきたり』(新谷尚紀監修/青春出版社)
参考資料など
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