14日の「おかえり!ノムさん 大阪球場(なんばパークス)に。」記念式典に、野村克也さんの孫・忠克さん(19)=日大野球部1年=が出席。キャンプ中で参加できない父の楽天・野村克則捕手育成コーチ(47)に代わって始球式の捕手役を務め、父のスピーチの代読を行った。大学でプレーする忠克さんは「祖父を超えられる選手に」と話した。
都会的な顔立ちと、176センチ、64キロのスリムな体の中に、しっかりとした野村家の魂が宿っていた。忠克さんはキャッチャーミットを手に、祖父の現役時代の背番号「19」のユニホームを着て、江本氏との始球式に臨んだ。ワンバウンドの“暴投”で、捕れずに走ったハプニングはご愛敬だったが、見事に捕手役を務めあげた。
「(背番号19は)重みを感じます。ここでプレーしていたんだなと、祖父を感じられた気がします。(始球式は)捕れなかったんですが、江本さんは素晴らしい方なんで緊張しました」
式典の最初、なんばパークス2階。かつての大阪球場のプレート板とホームベースが埋め込まれているメモリアルホームベースが舞台だった。祖父の仕事場で大役を終えると、克也さんの南海時代のバッティング写真を持参した母・有紀子さん(48)、遺骨を抱いた妹・彩也子さん(16)とともに、野村家を代表してテープカットに出席。キャンプ中で欠席した父・克則コーチのスピーチの代読も堂々と行った。
この大阪球場跡地を訪れるのは、父の阪神在籍時(2000-03年)以来で「1歳か2歳のヨチヨチ歩きの頃」と有紀子さん。忠克さんも「楽天監督時代(06-09年)しか記憶にないのですが。たくさんの方に集まっていただき、たくさんの方に愛されていたんだなと感じた」という。その思いは、一新された9階のギャラリーを見て一層強くした。三冠王盾など記念品、数々の栄光の写真…。
「(展示品は)家の中ではたくさんの中の1つだが、歴史を振り返るとすごい人なんだなと。自分のおじいちゃんなので不思議な感じではあるが、飾っていただいてうれしいし、誇りです」
小3から野球を始め、高校から寮生活。「忙しい方だし、野球を深く話すことはなかった。普段は優しいおじいちゃんでした」というが、現在、日大野球部1年で、ベンチ入りを目指して練習に励む日々だ。
「少しでも恩返しできたら。声を大にして言うのは恥ずかしいが、祖父を超えられる選手になれるよう頑張っていきたいです」
偉大な遺産に改めて触れ、大役を体験して、ノムさんの孫は努力を誓っていた。(宮本圭一郎)
■野村 忠克(のむら・ただかつ) 2002(平成14)1月24日生まれ、19歳。東京都出身。桜町小3年で野球を始め、桐蔭小を経て桐蔭中で「横浜緑ボーイズ」に所属。星槎国際湘南高では主に三塁コーチャーを務め、3年時に「17」でベンチ入り。甲子園出場なし。日大で外野手。176センチ、64キロ、右投げ右打ち。
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